ボトックスのリスクと効果

ボトックスやディスポートといった注射液の有効成分はボツリヌス毒素。毒素とはいっても人体に注入される前に生理食塩水で希釈される のと、注入量が人体に悪影響を及ぼすとされる量の300分の1以下なので安全だとされ、北米を中心に非常にポピュラーな注入剤となっている。

実際、北米においてはアラガン社製のボトックスが2002年にしわ治療薬としてFDA(米国食品医薬品局)の承認を得ており、ヒアルロン酸や コラーゲン注入よりも多く、一般の使用に供されている。しかし、十分な注意と管理の中でしか使用することが難しい製剤でもある。

★生物兵器としても期待されていたボツリヌス毒素の猛毒性

ボツリヌス毒素は猛毒である。オウム真理教が起こした1995年の地下鉄サリン事件は私たちの記憶にまだ新しいが、当初はボツリヌス菌を ばら撒く作戦であったことそして、実際に菌をアタッシュケースに詰めて地下鉄で実験していたことも公判で明らかになっている。

第二次世界大戦中は細菌兵器としてのボツリヌス菌毒素の生産がすでに行われており、米国では1970年にニクソン大統領が中止命令を出すまで 研究は続けらていたという。1995年にはUNSCOM(国連特別委員会)がイラクにおいて、大量のボツリヌス菌毒素(19,000L)炭素菌(8,400L)などを 製造していたことを発見し、培養媒体と製造施設の多くを破壊した。このようにボツリヌス菌毒素は細菌兵器に利用されるほどに強力な毒性を 持っており、 北海道立衛生研究所の木村浩一微生物部細菌科長が書かれた文章を引用すると、

私の知るかぎり(ボツリヌス毒素は)地球上で最強の毒素である。猛毒とされている他の毒と比較すると、その恐ろしさが分かる。
体重60 kgの人間を殺すのに必要な推定最少量は、青酸カリが174 mg、地下鉄サリン事件で多くの被害を出したサリンがその約十分の一弱の12 mg、 キノコ毒はサリンの半分の6 mg、VXガス(これもオウム真理教が使用した)はサリンの十分の一の1.2 mg、陸に棲むヘビで最強の毒を出す タイガースネークの蛇毒はサリンの二十分の一の0.6 mg、フグ毒はサリンの四百分の一の0.03 mgである。で、ボツリヌス毒素は、 サリンの実に二十万分の一の0.00006 mg(一億分の六グラム)で人間一人を殺すことが出来る。
計算上、500 gのボツリヌス毒素があれば全人類を確実に殺すことができる。

かくなる強力な毒素であるも、ボツリヌス毒素を産生するボツリヌス菌は、土壌や海、湖などの自然界に広く存在する菌である。

ちなみにボツリヌス毒素を産生するのはボツリヌス菌だけでなく、Clostridium butyricum(E型ボツリヌス毒素産生性)や Clostridium baratii(F型ボツリヌス毒素産生性)もボツリヌス毒素を産生する。

★ボツリヌス菌(Clostridium botulinum)

ボツリヌス菌は土壌や海、湖などの自然界に広く存在し、酸素の少ない環境の中でよく生育し、酸素が多い状況の中では芽胞と呼ばれる厚い皮膜 を形成して生き長らえる(嫌気性有芽胞菌)細菌である。

ボツリヌス菌にはA型.B型.C型(Cα型.Cβ型).D型.E型.F型があることがわかっており、ヒトの中毒はこのうちA型,B型そしてE型によるものが 多い。いずれのタイプとも、筋肉の収縮を指示する神経伝達物質であるアセチルコリン(神経細胞から筋繊維に向かって放出される)の 放出をストップさせ、結果として筋肉の弛緩を引き起こす。ボツリヌス毒素は脳血液関門を通過する手形までは持っていないため、脳の中枢神経 までは影響されず、局所的な弛緩作用にとどまる。

ボツリヌス(botsulinus)は腸詰ソーセージを意味するラテン語botsulusに由来する。これは筋肉麻痺を引き起こす特殊な食中毒が ドイツなどヨーロッパに一般的な食卓に並ぶ腸詰ソーセージを食べることで時折引き起こされたことから19世紀後半につけられた。

★ボツリヌス毒素産生の要件

ボツリヌス菌は酸素の薄い嫌気性の条件下で毒素を産生する。すなわち缶詰、真空パック、瓶詰、ソーセージ、燻製など空気が遮断された 状態で毒素を産生する。

ボツリヌス毒素は熱に弱く、80℃30分あるいは100℃10分以内の加熱で不活化されるが、芽胞の中には120℃4分の加熱に耐えるものもある。

ボツリヌス毒素にはA型.B型.C型(C1型.C2型).D型.E型.F型がある。

★ボツリヌス症とは

ボツリヌス菌が産生するボツリヌス毒素またはClostridium butyricum(E型ボツリヌス毒素産生性)や Clostridium baratii(F型ボツリヌス毒素産生性)により発症する麻痺性疾患である。

発症機序の違いにより以下の4つのタイプに分類される。

  1. 食餌性ボツリヌス症(ボツリヌス中毒)
  2. 乳児ボツリヌス症
  3. 創傷ボツリヌス症
  4. 成人腸管定着ボツリヌス症

★食餌性ボツリヌス症(foodborne botulism)

食餌性のボツリヌス毒素は食品の中でボツリヌス菌によって産生される。酸に対しては耐性があるため経口から体内に入っても活性を失わず 胃を通過するが、健康なヒトの腸管内で増殖し毒素を産生することはない。 また、ボツリヌス菌が食品中で毒素を産生するには、酸素の薄い嫌気性のもと、pH4.5以上、水分活性0.94以上という条件が必要とされている。

欧米では手作りのソーセージや瓶詰、缶詰などが原因食品となっている。

日本では北海道や東北地方特産の発酵食品「いずし」を原因食品とする症例が多く報告されていたが、いずれもE型である。

1984年、熊本県産のカラシレンコン(真空パック入)により36人がA型ボツリヌス症を発症し、11人の死者を出す事例が発生している。

1998年08月に東京都内千代田区内の飲食店で発生した事例では、イタリア産のグリーンオリーブ塩漬け(ビン詰)が原因食品であり、 わが国では3例目のB型ボツリヌス毒素による事例であった。

潜伏期間は明確ではないが、ボツリヌス毒素を含んだ食品を経口摂取してから、数時間〜62時間で発症するされる。

★乳児ボツリヌス症(infant botulism)

乳児ボツリヌス症は生後2週間から1歳未満の乳児に発生し、1歳以上の年齢層では発生しない特徴がある。経口から摂取されたボツリヌス菌 芽胞が乳児の腸管内で発芽増殖して産生されるボツリヌス毒性で発症する。

乳児ボツリヌス症は1976年アメリカで最初の報告がなされたが、原因となる毒素型は大部分がA型であった。 ボツリヌス菌の感染経路は蜂蜜、コーンシロップ等であることが推測されている。

日本における乳児ボツリヌス症は、1986年〜'87年に発生した11症例を解析した結果1例を除いて原因食品は蜂蜜と推測されている。 そのため、1987年10月厚生省は1歳未満の乳児には蜂蜜を与えないよう通知を出した。その後蜂蜜による感染事例はほとんどみられなくなったが、 感染源が不明な事例も報告されている。1996年に東京都で発生した乳児ボツリヌス症は、自家製野菜ス−プが原因食品として推定された症例であった。

★創傷ボツリヌス症(wound botulism)

破傷風同様、ボツリヌス菌芽胞が傷口に入りボツリヌス毒素を産生し、血液中に吸収されることによって発症する。 米国では麻薬等の薬物常用者による注射跡からの感染事例が報告されている。

★腸管集落性ボツリヌス症(child and adult botulism from intestinal colonization)/成人の乳児型ボツリヌス症 (adult colonization botulism)

成人の腸内コロニー形成ボツリヌス中毒は乳児ボツリヌス症と同様に、ボツリヌス菌の芽胞を含む食品を経口摂取したことが原因で 発症が、大腸炎などの腸の病気や腸の外科手術後、あるいは抗生物質投与で腸内細菌叢が撹乱された場合にまれに起こる。

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